成り行き任せで

達成感について。



近頃……と、云ってももう二年ぐらい前からであるが、何をしても達成感がない。
やったぜ、と云う気持ちが持てないのはちょっと辛い。

分析すると、二年前から仕事が負担になってきた。
否、社会人になったその日から女性職員との戦いなどがあってそこそこ負担はあったのだが。
余計な仕事をするようになり…よくこのブログで話題にしてしまっているが…どうしても気が合わない先輩との付き合いが本格的になってから負担が一層高まってしまったのだ。
その先輩はこちらが頑張っても決して「よくやったね」とは云ったことがない。
よくやっていないから云わないのかもしれない。でも、心に刺さる言葉はこちらの気持ちを縮ませるには十分な威力だ。
それからだ、何をしても達成感がないのは。
どうせやっても怒られるんだから、どこかに綻びがあるんだから――――――そんなこんなで今に至る。

だからね、自分が人に指導するときは絶対そんなことはしないんだ、と。
思うのだ。
で、指導に関して達成感はあるのかと問われると、そんなことはない。
こちらも未消化。だって、人は自分の思う通りにはいかないのだもの。
言葉を尽くしても理解されないことは理解されないし。
この言葉で合っているのだろうかと考えてしまうし。

うーん。つまりは考え過ぎなのである。
呪いだね、先輩の。
考えりゃいいって問題じゃないのだよ。本当に。
だから達成感が得られないのだ。
ひどいね、本当に呪いだよ。

伝え聞くと、私のいないところで私を褒めたことがあるらしい。
でも、私は信じていない。
本人に云わなければ伝わらないのだ。そして私は、私のいないところで褒めるような真似をする人間は、やっぱり嫌いなのだ。


最近、立川談志の著書や特集の本を読んでいる。

“人生、成り行き”

良い言葉だ。
今の私の救いでもある。
色々云われたって、出来ないものは出来ないし、やったとて満足がいくとは限らないのだ。
だったら、成り行きに任せて悩んで進んでいようではないか。


そんな感じで、近頃は高い目標を掲げすぎないように生きている。