宝塚歌劇ファンの品とは

先ず、ファンの意味を調べてみた。

『特定の対象に対する応援者、愛好者』のこと。『狂信者』を意味するファナティックという英語から由来しているとのこと。


東京宝塚劇場では星組トップスター柚希礼音のさよなら公演中だ。
その中のショーにおいて柚希さんが客席降りをする場面があるらしいのだが、その際の客席のマナー悪さが波紋を呼んでいる。
曰く、柚希の袖を引っ張る、自分の席に来ないからといって席を立って柚希の近くに来る……。
このような情報が耳に入り、残念を通り越して呆れてしまった。
スターとハイタッチしたいという気持ちからなのか、ただのやじうま根性なのか。
いずれにせよ、やっていいことと悪い事の区別がつかない人が多いのだなと改めて感じた。


まあ、何もそんな人がいることは今に始まったことではない。
宝塚歌劇において、ベルばらブームが起こった際のスターさんたちへのファンの追っかけはひどかったと聞く。
雑誌『歌劇』の読者投稿欄“高声低声”において、このような苦言がある。

ベルばらはスター育成の役目を果たし、世間の目を宝塚に向けることができた。数々の成果を上げ、話題も呼んだ。しかし良いことずくめばかりではなかった気がする。「ベルばら公害」というべき現象を見るにつけ、ファンの質の低下を誰もが感じているのではないか。(中略)爆竹的拍手、写真のフラッシュ、これも全く同じこと。他人の迷惑を考えない行動は、生徒も自分のファンには望んでいないはずだ。それと楽屋口でのスターへの猛獣的アタック。押されて転ぶ人もいるし、こんな姿、ファンとして情けない光景である。宝塚ファンは上品に振舞わなくては見苦しいですよ。“花のみち”は何故あるかご存知?桜の木陰からスターの素顔を垣間見て、幸せな気持ちで歩くプロムナードなのだと私は考えていたい。それが花のみちから手当たり次第に突進していくサマは、得物を見つけた猛獣に見えて仕方ない。


この、『猛獣的突進』と云う言葉が、今回の事態と似たものであると私は感じた。
当時は客席ではなく、楽屋口の現象であったが、それが時代を経て客席にまで侵食していていることには驚きあきれるばかりだ。
もしや、当時猛獣的突進を企てた人たちが今度は客席で突進しているのではあるまいな、などと余計な勘繰りをしてしまう。
ちなみに、ベルばら初演当時のスターさんたちは楽屋口に出たらファンにもみくちゃにされ、触るを通り越して叩かれるほどの痛みを感じたそうだ。
『歌劇』で生徒がエッセイを書いているが、その文章の中にはそれについて言及し、「痛いから止めてくださいね」と仲の良い同期が読者へ呼びかけているものもある。
それほど当時のスターさんたちは舞台以外で大変な思いをしていたのだ。


時を経て、現代。
情報化社会と云われ、ツイッターなどのSNSが盛んになっている今、私が問題として挙げたいものがある。
それは、『楽屋口での生徒さんたちの写真の氾濫』である。
肖像権、プライバシーを一切無視した行動。
極端なことを云えば、ストーカーと一緒、相手のことを慮ることのない行動だ。
生徒さんが「どうぞ、やってください。それが私の宣伝になるのならば」と云ってるのであれば話は別だ。(まあ、そんな生徒は宝塚歌劇団失格である)
やっている本人は、「生徒さんを応援するため」と思っての行動だろうが、それは上記の猛獣的突進と同じで生徒の痛みを理解しない人間の行動だ。
それを楽しんで見ている人もまた、猛獣であると私は思う。


情報は湯水のように落ちてくる。
しかし、それを選ぶのは個人個人だ。
宝塚のファンは『狂信者』であってはならない。
夢の国に魅せられたのなら、夢の国に相応しい品を持たねばならない。


皆様は、いかがお思いでしょうか。