私の落語史 1

落語好き、と云うにはまだ日が浅いが書いてみようと思う。
今日は幼少〜高校生編。



落語の存在は幼少のころより知っていた。
大きな原因は、父親。
父は幼少より落語好き、大学時代は落語研究会に所属していたと云う人間であった。
落研の部室に行くために大学に来ていたとのこと。
真面目に講義を受けていた人間にとっては腹が立つものだ。

しかし、父の高座姿の写真は残されていない。
一応撮影していたし持っていたそうなのだが、当時の彼女に持って行かれたとのこと。
うーん、今では絶対捨てられていることだろう。

さて、そんな父の蔵書量はかなりのものである。
速記本や落語家の本が今でも本棚にある。
カセットテープは今はないが、100本以上あったとか。
私が幼少のころ、父はまだカセットテープを持っていた時分で、休日にはよく聴いていた。
私はそれを微かに覚えている。
しかし、当時の私は噺の内容もわかっていなかったからどの噺も覚えてはいない。

それは小学生中学生にあがってもそうだった。
カセットテープがやがてビデオになっても興味がなかった。
一度だけ、テレビでやっていた古今亭志ん朝の高座姿だけ憶えている。
ネタは勿論憶えていない。
ただ、澱みのない、江戸前な口調が印象に残っている。
落語の映像を初めて観た私は、ただただ言葉の芸に驚いた。
だが、そんな名人に近いと云われた人も私が中学生のころに亡くなっていた。
今では生で聴けない。

高校生になって、今まで忙しかった父と話す機会が増えた。
それに伴って父の落語を聴く姿は増えたが、しかし依然として私自身は落語に興味がない。
落語のために自宅に一台しかないテレビを独占する父を、流行に敏感になり始めた娘は苦々しく思っていた。
父の「面白いから観ろ」に、「絶対観ないから」と一言切って捨てて自室に籠り、漫画や本を読んでいた。

高校時代までの私は、落語の存在は知っていても自分から触れることは一切なく、しかし父の影響で落語の大枠だけは察していた。
そんな頃だった。