8月9日

今年もまた、長崎原爆の日がきた。





私には半分長崎県人の血が流れているので、この日は特別だ。
父方の祖父母は被爆したが、幸いにも生き延びてくれたおかげで父が生まれ、私がいる。
8月9日は、生と死を考える日だ。

この一ヶ月、朝の通勤時に鴨長明著の発心集を読んでいる。
発心集を読んでいると、欲とは限りなく、人の行いと云うものは実に浅はかであると痛感してしまう。
修業すれば極楽往生出来るわけではない、かと云って願うだけでは出来ない。
でも、極楽往生ばかりが是でもない。

生きるということはとても難しい。
今、この世の中はお金がないと生きていけない世の中だ。
税金を払わないといけない、自分で食料を作っている人はほとんどいないから、食料を買うお金がないといけない。
住むには家がいるし、家の維持費がかかる。
なんだかんだと、お金がないと生きていけない。
だから、仕事をする。
楽しくないこともする。
一日仕事して時間を費やして言葉なくうなだれることもある。


私は何故ここで生きているのだ。


と。
こう考えると、本当に空しい。
空しくて、辛い。
しかし、生きていれば何かある。
楽しいことがある。きっと、ある。
私は幸運にも、この世界に生まれてきたのだから。

今、この時代に生まれたから出会えた幸運はたくさんある。
両親、友人、良い出逢いも悪い出逢いもたくさんあった。
それを胸に抱いて生きていくしかないのだ。


69年前のあのとき、遠い海の彼方の国が私の国を傷つけた。
でも、私の国もいろんな国を傷つけた。
それは紛れもない事実で、互いが傷つけあった時代の上に私たち世代がいることは間違いない。
互いを尊重し合い、いがみあうことがない世界はまだ遠い。
それでも戦争を知らない世代である私たちは、その時代を感じ、その先の未来の為に一歩ずつ進むことが求められている。
この日を知らない、と我が事にしないで生きることは決して許されない。


私はいつも、8月9日は自分が生きていることを問う。
そして、身を引き締めることにする。
近い親族、遠い祖先を想いながら−−−−−