書くこととは、己だ

お題について、徒然に。




書くこと、というものは本当に難しいことだと思う。
書くことは自己主張の最たるものであり、だからこそ言葉のひとつひとつに人格や品格が現れる。
そんな当たり前のことを、昔の私はわかっていなくて随分と乱暴に、思いつくままに書いていた。
昔の私はそれでも妄想が激しくて、いろんな表現を試したくて、たくさん作品を書いていた。
今思えばどこにそれだけの文章が出て来たのか疑問だ。
もう少し今にとっておいた方が良かった。今はもう枯れているんじゃないかと思うほど文章が書けない。
否、文章に対して守りに入ってしまったのだ。小難しく表現を考えてしまうばかりに言葉が上手く出てこない。別に純文学を目指しているわけではあるまいに、変に考えすぎてしまうのだ。

大人になってしまったと思うのは、こういうときだ。
今まで湯水のように言葉を出していたのは、自分が幼く単純であったに過ぎない。社会人になって、黙っておけば面倒事にならずに済んだ、なんてことを度々起こしてどうやら私は表現に対して萎縮してしまったようだ。


今、少しずつ文章を書くようにしている。文章へのリハビリであり、どこかしら書きたい欲が出てきた。これは良いことだ。
元来書くことが好きで、書くことが私の人生だと思っている。思い込んでいる。だから、もっと書きたい。文章を書きたい。作品を書きたい。


今日、李香蘭こと山口淑子さんが亡くなったという報が流れた。
彼女の歌った歌に、『蘇州夜曲』がある。
一番の歌詞がよく歌われるが、私は二番の歌詞が好きだ。


花をうかべて 流れる水の
明日のゆくへは 知らねども
今宵映した ふたりの姿
消えてくれるな いつまでも


七五調の美しい歌詞だ。
男女の心情が浮かんでくる。
これを書いた西條八十は言葉の美しさを少ない文字数で表現できる稀有な方だった。
その歌詞を美しい歌声でせつなげに表現した李香蘭もまた、素晴らしい人だった。

書くこととは、結局自分が出てしまう。
私の文章は、稚拙だ。わかっている。
だから研鑽して、いろんな文章を読んで表現を磨くしか他はない。








今週のお題「書くこと」