幸福な歌が宝塚歌劇だと信じて疑わない人の想い

宝塚歌劇の歌と云えば、『すみれの花咲く頃』、そしてベルサイユのばらで有名な『愛あればこそ』。テレビで宝塚歌劇団が出演すればこればかり。OGまでテレビ番組で歌っている。良い曲なのはわかるし、全国区で有名なのはわかる。しかし、宝塚歌劇団の良さはこの二曲だけではないはず。幸福を感じる歌がたくさんあるのが宝塚歌劇団の良さだ。


そもそも歌劇とはオペラのことだ。劇の途中台詞を歌唱する。日本ではレビューも含めている。宝塚歌劇団は歌劇のプロ集団だ。特にレビューでは数々の名曲を生み出してきた。それを再び歌うことは難しいのだろうか。近頃そんなことを思う。


こんな宝塚メドレーの映像が残っている。
すみれの花咲く頃→モン・パリ→幸福を売る人→ハロー・タカラジェンヌ→ハロー・タカラヅカと曲は五曲も続く。


ピーコさんの素晴らしい歌から始まり、ジュンコさんの軽快なステップと共に歌うモン・パリ。ミッキーさんの客席からパッと華やいだ笑顔で歌い出す幸福を売る人はやがてピーコさんとターコさんが加わって実に楽しそう。そこからトーンがグッと大人になって、スータンさんがハロー・タカラジェンヌを格好良く歌われる。で、最後にハロー・タカラヅカをジュンコさんやミッキーさん、ピーコさんにターコさんが素敵なダルマ姿と可愛らしいお声とスータンの洗練された歌声でフィナーレを迎える。
この五曲でしっかりレビューが出来上がっている。一般のお客様もタカラヅカファンも満足する構成だ。大階段などはない、セリもない。平舞台とわずかに客席への階段や突端の舞台だけだ。男役はダルマ姿にもなり、男役の代名詞である燕尾服はなく、タカラジェンヌの魅力で場を盛り上げているところは流石である。また、男役だけが目立つわけでもない。むしろ男役はスータンとジュンコさんとミッキーさん、そしてターコさんのみで、あとは娘役ばかりだ。幕開きはピーコさんの歌だし、その後もピーコさんは存分に素晴らしい歌を披露している。
宝塚歌劇団は女性が男を演じることが特色として挙げられるが、単純に役割でもある。団員(正確には生徒)が女性に限っているから役としては男女を分けているに過ぎない。男役だから目立つわけでは決してないのだ。むしろ昔の宝塚歌劇団は今のように男男せず、タカラジェンヌ本来の女性らしさも上手く舞台に反映させていて観ていて違和感はない。
宝塚歌劇団の良さは生徒の努力の上に成り立ったスター性と生徒を魅力的に魅せる演出家の手腕にかかっている。当たり前だが、そこが要だ。


さて、先日スマスマで花組SMAPと共演していたが、格好良さはあるが先の映像で受けたような幸福さが感じられる映像ではなかった。番組の趣旨が趣旨だからか公演中のエリザベートをフューチャーしたからか知らないが、宝塚も随分華やかさがなくなったものだと感じてしまった。時代の流れだよ、現に今のお客さんには受けてるよと云われてしまっては言葉もないが、なんとなく宝塚歌劇らしさがなくなっている気がしてならない。

歌の実力もそうだ。歌が上手いのはトップスターの明日海さんぐらいで、あとはSMAPと同レベルな印象を受けた。そもそも娘役がほとんど歌わないってなんだろうか?あまりにも変化がないメドレーになっていた。ピーコさんのような美しい歌声の人はいないのだろうか?歌劇団なのに歌の実力をあやふやにしたような映像になっていて、そこも観ていて残念に思った。もしかしたら歌の上手な人はいないのか?そんな疑念を抱かせるような演出だった。
私は今の宝塚歌劇団をよく知らないから今まで勝手云って申し訳ないが、地上波の出演があまりない宝塚歌劇団だからこそ、この機会を他(共演者)に迎合することなく独自の世界で勝負して欲しいのだ。宝塚歌劇の世界観には娘役の美しい歌声は不可欠であるし、夢の世界に誘う演出は必要だ。男役だけでは成立しない世界が宝塚歌劇だし、私たちファンはそれを一番に理解している。しかし一般の人にはなかなかその世界が浸透されていないのは事実だ。だからこそ一般の人が観る番組を有効に使って欲しい。先に挙げた映像のように。


観て幸せになる。それが宝塚歌劇の世界ではないのか?
私は地上波の映像で今のタカラジェンヌたちが楽しそうに歌っている『ハロー・タカラヅカ』を観たい。