宝塚歌劇に13年越しに落ちる。

 近頃、私の中に宝塚歌劇の波がきている。宝塚歌劇と云っても現在の宝塚歌劇ではない。昭和の
宝塚歌劇、とりわけ映像がわずかに残っている1970年代から80年代前半だ。

 最初に宝塚歌劇を好きになったのは、高校時代のことだから、今から13年も前のことだ。母が一度は宝塚歌劇を観た方が良いと、夏休みに博多座で公演していた雪組公演に連れて行かれたことがきっかけだった。演目は『凱旋門』と『パッサージュ』。今考えると最強の演目であった。何せ轟悠月影瞳という大人のコンビに汐風幸湖月わたるである。充実の芝居、レビューを二階席ながら引き込まれて観たのを思い出す。
 それから流れるように一時期宝塚歌劇にのめり込んだ。でも、二、三年間ぐらいだったかと思う。贔屓のスタアが退団したら、自然とフェードアウトした。ちょうど大学に入学して新しい世界が開かれたことも起因して、割とあっさり観なくなった。そもそも地方に住んでいて、宝塚歌劇を観れるのは年に数回、テレビもNHKBSが定期的に特集してくれてたが、だんだんそれも減ってきていた時期だった。
 そんなわけでしばらく宝塚歌劇とかけ離れた生活を送っていたのだが(しかしその間一度社員旅行で月組のロミジュリを観た。それは今後書くとして…)、ちょうど仕事で情熱を失っているときに某動画サイトで宝塚歌劇の映像を観た。1981年の、小林一三25回忌の各組合同のレビューだ。あれでまた落ちました。宝塚歌劇に。今の宝塚歌劇ではなく、その頃の時代の宝塚歌劇に。何故なら今の歌劇には心奪われたスタアはいないからである。心奪われるスタアがたまたまその時代だった。単にそれだけのことなのだと思う。
 目下、その頃の歌劇やグラフを買い漁っている最中である。勤め人は盛り上がったら即行動。惜しむらくはあの頃はCDはなくてLPであることや、映像の類がほとんど残っていないことか。誰か昔の映像を観せてくれまいか。今の宝塚歌劇じゃないから、そこのところが不便だ。嗚呼、タイムスリップしたい。

 これからは時折あの頃の宝塚歌劇・私がハマったときの宝塚歌劇のことなどを語ろうと思う。次回はおそらく私が心奪われたスタアのことか。いや、わからんですけど。