掌編『特攻とリボン』

恋をすると現世に未練が残る。

特攻の訓練で初めて上官に云われた言葉がこれだった。
なんだ今更、そんなものいないやい、俺たちは日本国のために死ぬんだ、恋にうつつをぬかす暇などあろうはずがない……などと憤然たる気持ちで上官の言葉を聞いたものである。
だが実際には儚い短さで死ぬことの空しさに苦しめられ、そのさびしい心を女性に慰めてもらいたくなり、恋をしてしまうものである。

俺はそうして彼女に恋をした。

彼女は俺たちがいる飛行場の近くの雑貨屋の娘だ。
ほっそりとした色白の美人で、宝塚歌劇の娘役にでも似合いそうな可憐な風情がある。
そんな看板娘がいる雑貨屋はいつも大繁盛で、特に用もないのに特攻の若者は雑貨屋のまわりをうろつくこともしばしばある。
俺はそうしたことは一切しなかったが、ある日上官の命令で雑貨屋からいくつかものを買いに行かされた折に彼女と初めて会った。
そのときも店の中は満員で、おいおい配給所じゃあないんだから……と思い乍らなんとか上官から云われたものを買った。

そのとき彼女は、
「いつもお仕事お疲れ様です」
と、優しく声をかけてくれたのだった。

普通軍人は礼も云わず去っていくものだが俺は生来自分を誇示することは苦手であるので、丁寧に「有難う御座います」と云って去っていった。


以来、如何云うわけか外出すると彼女に度々出会った。
挨拶だけのやり取りから気さくに会話をするまでの時間はそれはもう長かった。
晩生である俺自身の性格が原因である。
そしてやはり、自分の所属も。

どうせ死ぬ身なのだ、今更恋をして如何すると云うのだ。

そんな考えが絶えず俺を蝕んだ。
が、彼女は会う度会う度声をかけてくれ、その優しさが俺の心を溶かしてくれた。

彼女に恋をしない道理があるだろうか。
否、実際問題これは恋とは呼ばないのかもしれない。
憧れの方が近いのかもしれない。
戦争の最中にあって一種の灯の如く光り輝いて生きている。
死に逝く者にとってそのような存在はとても高貴であるような気がする。
だから俺は己の想いなど伝えようと云う気が全くない。
ただ自分が生きている間彼女を心の中に想うことが出来れば、それで十分なのだ。
人はそれを臆病だと罵るかもしれない。

だがこれは俺が下した結論なのだ。
他人に如何こう云われることではないのだ。



あるとき私用で実家に戻った折。
行商がこっそり少女たちにリボンを売っているところを見掛けた。
戦時中のために一切のお洒落を禁じられた少女たちはなけなしの小遣いでリボンを買い、それを守り袋に入れていた。

彼女に買ってみよう。
俺はそう思い立ち、行商から赤い薔薇模様のリボンをふたつ買った。
三つ編みをしたときのためにふたつ買ってみた。



後日基地に戻り彼女の家に行ってみると、雑貨屋はおろか家自体が片付けられていた。
愕然として同僚に訊いてみると。

「嗚呼、彼女の家はお前が実家へ帰って直ぐに疎開してしまったよ」

と、事も無げに云った。
その言葉を聞いて心に大きな空洞が空いてしまった。

恋の終焉がはっきりと告げられたことを感じた。


彼女の笑顔も彼女の空気もこの町にはもう……ない。
あるのは彼女のために買ったリボンだけだ。



嗚呼、恋はこんなにも───






特攻とリボン
―それは俺の恋の証である。だから死ぬまで持っていようと決めたのだ―






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昔の作品を掲載。
書きたいものは、こんな感じなのだ。
今日はそれを思い出して、決意して。
明日から頑張ろう。