はじめてのネイルサロン

 夏の陽射しを浴びたせいか、髪の毛がパサパサしている。以前は手で髪の毛を梳かしてもサラリと真っ直ぐ下りた指は、今は途中で髪の毛を絡ませて下りてくる。自分のケアの仕方が悪いのか、寄る歳には勝てないのか、いずれにせよ髪の毛の調子が悪いと憂鬱だ。
 着る予定にしていた可愛い服もなんとなくキャンセルして、カジュアルと云えば聞こえは良い簡易な服を手に取った。嗚呼、女は一髪二姿と云われているのに、この体たらく。思えばパーマをあててからこんなに軋む髪の毛になってしまった。昔のストレート黒髪時代はツヤツヤサラサラしていた私の髪の毛よ、君はもういないのか。
 憂鬱な心をなんとか打破したい。ただでさえ仕事で心もからだも疲弊しているのだ。何かしないと駄目だ。そうだ、私のこの爪がみすぼらしいからどうにか出来ないものか。爪の表面は縦縞出来ているし甘皮は処理出来ていない。そうだ、ネイルサロンに行こう。マニュキュアを自分でやっても毎度上手くいかないこの不器用娘が頼るのはそこしかない。

 ネイルサロンは初めての体験だ。なんでも初めては緊張する。上手く注文出来なかったらどうしよう。ネイリストさんに「うわ、初心者が来たよ」と嫌な顔をされないだろうか。私の残念な爪を見て「いや、これはちょっと無理…」とか云われないだろうか。多少ドキドキし乍らネイルサロンに行く。
 行ってみると、ちょうど誰もお客さんはいない。これはまた都合が良いやら悪いやら。「あのぉ……」とおずおずと声をかけた。私に声をかけられたネイリストさんは笑顔で「いらっしゃいませ。初めてですか?」と挨拶された。私は勇気を振り絞って云った。

「初めてなんですけど、爪のケアとカラーリングをして欲しいんです」

 ネイリストさんは云った。

「カラーはマニュキュアですか?ジェルネイルですか?」

 しまった。ここでつまずいた。ジェルネイルってなんだ?とりあえずジェルネイルとマニュキュアの違いを教えてもらった。違いは分かったが、ここで説明は省く。何故なら説明が苦手だからだ!とりあえず今回はジェルネイルをしてもらった。ジェルネイルの方がモチが良いからだ。
 さて、ネイリストさんは私の伸びきった爪を整え始めつつ巧みにカラーはどうするかを訊いてきた。色見本を私の前に置き、私の職業や好みを聴きつつ「では、こんな色がいいんじゃないですかね?」と提示する。それでも強制はしない。決めるのは私だし、カラーリングまでには時間がある。
 私は色見本に目を移しつつ考えた。事務員だから勿論派手な色はNGだ。でも、何かワンポイント魅せたい。そんなときネイリストさんはさりげなく云ったのだ。

「ラインストーンなどのデコもありますよ」

 と。なるほど、それもまた良いね!でも、あまり派手にしてもいけないし……と、また悩みに悩む。そうこうしている内に爪は整えられ、ついでに甘皮処理もおわっていた。そしていよいよジェルネイル。手際良く右手半分塗ってはライトを当て、その間に左手半分を塗っていく……無駄がない。
 結局薄いピンクのカラーリングに左薬指にラインストーンをのせた。指が小さいのでラインストーンをのせるのも全てがコンパクトサイズになったので、ゴージャス感はない。ミニマムな女には似合いの結末だ。

 そんなわけで初めてのネイルサロン。これが良い感じに日常生活に溶け込んだら、今後も地味にネイルサロンに行って気分転換しようと思う。自分ではやらない。不器用だから。プロに任せた方がね、いいよ、うん。

映画『マダム・イン・ニューヨーク』

福岡にはミニシアターがKBCシネマぐらいしかないから困る。





上映期間は限られているから、その期間に観れなかったらお終いだし、食指が動く映画は少ない。
本当は古い映画(モノクロ時代の映画。たとえば『雨の朝 パリに死す』とか)を上映して欲しい。
でも、新しい映画も回らないのに古い映画求めても……ね。
そんなわけで、福岡にミニシアターをあと二館くらい増やしてくれないかと思っている今日この頃。


さて、今日は『マダム・イン・ニューヨーク』を観に行った。
インド映画は大学時代授業で観て以来。
そう、主な舞台はニューヨークだが、インド映画なのである。
主人公のシャシが可愛くて美しくて可愛くて。
主人公はマダムだから、ある程度年齢重ねてると思っていたけど役者さんはなんと50歳。

シャシは普通の主婦で、英語が出来ないことを夫と娘に馬鹿にされて人間としての自信を失くしている。
でも、ニューヨークで一大奮起して英語を勉強し出して---というストーリー。

勉強は何歳からやっても遅すぎることはない。
要はやる気と情熱であることを教えてくれる。
また、家族とは、夫婦とは何かを最後のシーンで強く教えてくれた。
最後のシーンはウルウルしながら観て、そして、大いに共感して大いに反省した。
私も母に対してひどい言葉を浴びせていたかもしれない。
母がいるから、家族は成り立っているのだと改めて感じた。

それにしてもシャシが着るサリーはどれも美しい。
映画では全シーンで同じサリーを着ていない。
民族衣装とは、その民族を一番美しく魅せるものであると改めて思う。
私も明日は浴衣着よう。

8月9日

今年もまた、長崎原爆の日がきた。





私には半分長崎県人の血が流れているので、この日は特別だ。
父方の祖父母は被爆したが、幸いにも生き延びてくれたおかげで父が生まれ、私がいる。
8月9日は、生と死を考える日だ。

この一ヶ月、朝の通勤時に鴨長明著の発心集を読んでいる。
発心集を読んでいると、欲とは限りなく、人の行いと云うものは実に浅はかであると痛感してしまう。
修業すれば極楽往生出来るわけではない、かと云って願うだけでは出来ない。
でも、極楽往生ばかりが是でもない。

生きるということはとても難しい。
今、この世の中はお金がないと生きていけない世の中だ。
税金を払わないといけない、自分で食料を作っている人はほとんどいないから、食料を買うお金がないといけない。
住むには家がいるし、家の維持費がかかる。
なんだかんだと、お金がないと生きていけない。
だから、仕事をする。
楽しくないこともする。
一日仕事して時間を費やして言葉なくうなだれることもある。


私は何故ここで生きているのだ。


と。
こう考えると、本当に空しい。
空しくて、辛い。
しかし、生きていれば何かある。
楽しいことがある。きっと、ある。
私は幸運にも、この世界に生まれてきたのだから。

今、この時代に生まれたから出会えた幸運はたくさんある。
両親、友人、良い出逢いも悪い出逢いもたくさんあった。
それを胸に抱いて生きていくしかないのだ。


69年前のあのとき、遠い海の彼方の国が私の国を傷つけた。
でも、私の国もいろんな国を傷つけた。
それは紛れもない事実で、互いが傷つけあった時代の上に私たち世代がいることは間違いない。
互いを尊重し合い、いがみあうことがない世界はまだ遠い。
それでも戦争を知らない世代である私たちは、その時代を感じ、その先の未来の為に一歩ずつ進むことが求められている。
この日を知らない、と我が事にしないで生きることは決して許されない。


私はいつも、8月9日は自分が生きていることを問う。
そして、身を引き締めることにする。
近い親族、遠い祖先を想いながら−−−−−

続・夏の目標

気付けば八月。






仕事で今、かなり死ぬ思いをしている。
このままだとお盆を迎えたら即倒れるんじゃないかと思うくらい。
心の平穏がなかなか保たれず、それゆえにからだも壊し気味。
昨日なんて、土曜日にも関わらず約15時間働いたんだぞ。
今日は使い物にならなかったわ。



さて、以前お題で夏の目標を書いた。
今の進捗状況を報告。


①美脚になる!

これ、今止まってます。
書いた当初はガンガン頑張ってたんですけどねえ。
今、デスクワークでむくみが半端ない。。。
頑張れ、私。


②自然に還りたい

これは、一度糸島に行ってきて白糸の滝や紫陽花、ハーブとか観て来たのでちょっとだけ達成。
お盆休みは流しそうめんにでも行きたい。


③日本語と日本文化の勉強を始める

これもなかなか出来ていない。
毎日朝の通勤中に発心集読んでるくらい。
でもね、テレビの日本文化系の番組はほぼ観てる。
今月は書物を読みたい。



以上。
これからストレッチしてくる。

あ、夏だからとからだを冷やすとえらいことになりますよ。
アラサーになったらからだは冷やさない、を心がけよう。


で、今月は浴衣着て街に繰り出したいな。。。

落語教育委員会 春日編 2014/7/12

一週間嫌なことがあったから、笑いで全てを吹き飛ばそうとやってきました。
しかし乍ら、楽しみの8割を占めていた携帯電話コントを観ることが出来ず。
どうやらトコトン一週間運が悪かったようです。

以下、演目と感想。


笑運来福ふれあい寄席「落語教育委員会

一.コント 「敬老会謝礼場」(未見)
一.金明竹   月の家鏡太
一.夜の慣用句 柳家喬太郎
仲入り
一.お菊の皿  三遊亭歌武蔵
一.お直し   柳家喜多八




金明竹  月の家鏡太

地方に居るとあまり二ツ目さんの芸って観ないからわからない。
だから偉そうなことも云えない。とは思っている。でもちょっとだけ。
言い立ては流暢だったけど、人物の演じ分けはイマイチだったとは思う。
正直「金明竹ってこんなに面白くないんだっけ?」と思った。
あと、前座仕事が雑だった。
以前観た三三の弟子・小かじさんは丁寧に仕事していたから、尚更雑さが際立った。
羽織丸めすぎだって。


夜の慣用句  柳家喬太郎

マクラからしっかり沸かせてた。
9日間の旅だったから、疲れてます!て宣言されてました(笑)
客筋が読めなかったのか、迷いに迷って新作落語
私は好きなのでうれしかったんですけど、新作だからなのか慣用句の小さなギャグがわかってないのか、客席の反応がイマイチだったため噺の途中でボヤいてました。
そんな喬太郎師匠が面白かった。
割と年配の人が多いと思いきや子供もいたからね。
午後の保健室とかだったらまた反応も変わってたのではなかろうか?


お菊の皿  三遊亭歌武蔵

「只今の協議についてご説明いたします!」
いつもの前口上を生で聴けただけで幸せ。
相撲のマクラも楽しく聴かせてもらいました。
チラシのプロフィールに前座名が「歌ちどき」ではなく「歌もどき」と書かれていたのをネタにしてました。
主催者は何を取り間違えて「歌もどき」にしたのやら。
噺はこの日一番の笑いだったのではなかろうか。
ただ、下座さんとの打ち合わせミスで肝心のところで噺が止まっておかしな笑いが起きたけど。
それもライブってことで、お客としては楽しかった。


お直し  柳家喜多八

出ました、殿下!と初っ端からの脱力トークで思いました。
廓の話を振ってたから自然と今日は廓噺だと思いましたが、果たして子供がいる中で大丈夫か?と一抹の不安が・・・。
案の定子供たちは静かに聴いておらず、キョロキョロし出しているのが目の端で見える。
席を立ち始めるからこっちの集中力が切れた。
終いには大人まで終演後混むのが嫌とみて席を立ちだすマナーの悪さ。
師匠の噺が半分くらいしか入らなかった。
噺は最後まで聴きなさいよ、大人でしょうが。
子供は致し方ないよ、わかんないんだもん。でもね、大人は駄目だろうよ。
師匠も最後まで集中してたのだろうか?絶対目に入ってたと思う。
お直しは初めて聴いたけど全体的に暗い噺だったこともあり、若干消化不良で落語会を終えてしまった印象。
師匠は悪くないんだけどね。



十五時半と云う中途半端に始まったので、終演は十八時。

七夕

なんだかんだ、七夕である。






もう七夕って云う歳ではないんですけどね。
それでもなんとなく願い事をね、空に伝えてみたくなるわけですね。
それがね、日本人なんですよ。
残念乍ら今年のお空はどんより曇っていてね、雨なんかも各地で振っていて織姫も彦星も雲隠れで逢瀬を楽しんでいるみたいですね。
羨ましいやら憎いやら。


私も彦星と戯れたいぜ!←本音絶叫


……はい、今宵もひっそり美脚に励みます。

集団的自衛権、と云う六文字の為に。。。

空飛ぶ広報室

空飛ぶ広報室




去年の春クールで同名ドラマがあった。
ドラマではただただ綾野剛演じる広報官・空井二尉と新垣結衣演じるテレビマン・稲葉リカの恋模様にキュンキュンしていたのだが、原作本では空井・稲葉両若者の葛藤と成長を感じられる作品となっている。
今、久しぶりに読了したのだが、最後の章『あの日の松島』を読んで考えることがあり、ブログを書くことにする。



『あの日の松島』では、2011年3月11日以降の松島基地で、マスコミである稲葉が見た自衛隊員の姿を描いている。
松島基地で被災した空井は広報よりも救助活動をした。自衛隊員としては当たり前だが、広報としての活動をしなかった。広報活動をしなかったために起きた誤解、それは自衛隊は頑張っている・苦労しているという報道。
空井は自衛隊が頑張っているという報道ではなく、自衛隊の活動が国民の安心につながっているという報道をしてもらいたかったのだ。
しかし広報官である自分が発信していないから誤解されたままになった。そのことへの自分への憤り。
稲葉もまた、そのことに気付けない自分の無力さを感じ、そして報道の何かを感じる。



作者の有川浩はあとがきでこう書いている。

 『あの日の松島』を書くために、松島基地を訪ねました。防衛省航空幕僚監部広報室にも再び訪れました。
 取材の途中で「すみません」と謝りながら涙ぐむ人が何人もいました。 (中略)
 悲しくないわけがなかったろうと思います。大丈夫だったわけがないだろうと思います。彼らが未だにふとした拍子に涙するのは、一番大変なときに一番大変なところへ、私たちの代わりに駆けつけてくれるからです。
 私たちの代わりに被災地に手を差し伸べてくれるからです。
 一番の悲しみの溢れる場所へ赴いて、彼らはその地の悲しみに立ち会うのです。
 しかし、彼らは決して当事者のような顔をしません。立ち会っているだけだから悲しむ資格は自分にはないと自分の涙を詫びるのです。
 一体何という清廉な人たちに私たちは守られているのだろうと思います。
(中略)
自衛隊をモデルに今までいろんな物語を書いてきましたが、今回ほど平時と有事の彼らの落差を思い知らされたことはありません。
 ごく普通の楽しい人たちです。私たちと何ら変わりありません。しかし、有事に対する覚悟があるという一点だけが違います。
 その覚悟に私たちの日常が支えられていることを、ずっと覚えていたいと思います。

今、集団的自衛権が話題となっている。
話題、という言葉は適切ではない。何故なら私の周りではほとんど話題に挙がらないからだ。
家族では話題にし、議論もしている。しかし職場では話題が挙がらない。
話題に挙げられないような状況にしているのは何か。
私は単純に、差し迫った話ではないと多くの国民が思っているからだと感じる。
その無関心な状況で自民党集団的自衛権を行使出来るように動いている、そしてそれを野放しにしている国民は本当に馬鹿者ばかりになってきたな……これは私見であるが。

上記の清廉な、有事に対する覚悟がある人たちが、ちょっとした私たちの無関心で危ない目に遭わせていいのだろうか?
彼らはいざというときがないように訓練している。決して人殺しをするために訓練しているわけではない。
私たちは69年前の八月まで戦争をしていた。そこで多くの命が散って逝った。
もう戦争はしたくないと誰もが思ったはずだ。子供の代、孫の代まで日本と云う国を平穏に残したいと思ったはずだ。
だから戦争を放棄した。やりたくないって云ったんだ。私たちは。

集団的自衛権がどうとか云っているのではない。単純明快に戦争したくない、それだけなのだ。
外交の問題や領土の問題があるのもわかる。しかし、外交や領土の問題が発展して第二次世界大戦が起こっただろう?同じことをまた繰り返すのか?
歴史とは、再び同じ過ちを起こさないために学ぶものではなかっただろうか。

政治家は忘れていないか?“一番大変なときに一番大変なところへ、私たちの代わりに駆けつけてくれる”のはあなたたちではないことを。
今、黒田官兵衛大河ドラマで放映されているが、彼ら戦国武将は戦場に赴いていた。しかし、あなたたち政治家は絶対戦場になど訪れるわけがない。安穏と安全な場所に居てあーだこーだ云っているに違いない。

自衛権が欲しい人たちは、武力をもたないと交渉事が進まないと云う人間たちは、自分たちが率先して戦場にでも行けばいい。
あなたたちは決して、覚悟をもって私たちの日常を支えてくれるわけではないと私たちは知っている。
そして、この問題に無関心でいるひとたちも同様だ。



私たちは、私たちの無関心と云う罪でもって私たちの日常を守ってくれる人たちを殺していいのでだろうか?