2014年の私。

あっと言う間に2014年が過ぎ去ろうとしています。



今月は母が大けがをして入院したため、慣れぬ主婦業を続けております。
幸い母は先日退院したので、それだけは一安心。
なんとか年を越せそうです。


さて、2014年の反省として、年頭の目標と結果を考えてみたいと思います。
あの時の目標を原文のまま、矢印からは結果です。


①毒舌を慎む
昨年は内に溜まったものをひどいかたちで放出し過ぎていたので、ちょっとさすがに三十路近くなって冷静になろうと思います。
怒りに震えたら毒舌にならない程度に遠まわしに反論することにします。
イライラしたら口パクで毒舌吐きます。
この戦法で頑張ろうと思います。

→これね、最初の方は気を付けていたのですけどねえ……理不尽なことになるとすぐ怒っちゃって(笑)頭で毒舌してても云えないイライラが増すばかりだってわかっちゃった。これは怒らない努力を重ねた方が得策です。29年生きてて達した結論。


②運動する
会社と最寄駅の往復でしか運動していない状況はさすがに体力低下になっている。
楽して動ける、持続性のある運動を探そうと思います。
とりあえず冬の間は寒いのでストレッチ中心で生きていき、春になったら何かします。

→春と秋はウォーキングしていました。夏は暑くて動けませんでした。冬は寒くて動けませんでした。でも、今月は職場で作業事があったので、からだ動かしてたから割と頑張ってた方と自己診断してみます。


③肌環境に敏感になる。
潤いがないくせに面倒がってハンドクリームやボディクリーム塗っていない状況。
最近なんだか肌が粉噴いてる。←当たり前だ
潤いとか、とにかく気にしてケアをしようと思います。

→はい、出来ておりません。気にしてましたけど、肌が潤うことはありませんでした。


④文章書こうよ、今こそ
頭の中の諸々を文章にする練習をしようと思います。
書かないと、ほんと言葉を忘れる。
ブログもマメに書いていきます。

→ブログは書いたり書かなかったりと波がありました。気を付けていたときは週に一回、などとやっていたのですが。。。心が動くようなことが少ないのも、原因のひとつかなあ。

⑤旅行に行く
さしあたって、友人と京都。
計画しないと駄目だ、さすがに。
あとは母親と北海道か四国か海外に行きたい。
今のところの第一候補は四国。
うどんを食べたい、四万十川観たい、お寺まわりたい。

→母との四国行は実現しました。計画は当初とはちょっと違う方向性になりましたけど。それでも四国の景色を見られて楽しかったです。来年こそは友人たちと旅行に行きたいと思います。



こんな感じで、相変わらずの体たらくな結果になりました(笑)
ちかごろ仕事に身が入らないというか、仕事する意味を見失っているというか、そんな状態が続いております。
で、視野が狭くなりがちなのが自分でもわかる。
来年はそれを打破できる心の強さと実行力を身に付けたいなと思いつつ。


今年もたいへんお世話になりました。
来年も当ブログをよろしくお願いいたします。

良いお年をお迎えくださいませ。

雑感 ビブラート

NHKEテレで『亀田音楽専門学校』という番組がOAされている。
普段は観ていないが、贔屓にしているゴスペラーズがゲスト出演する回があったので、それだけ録画して観た。
二回出演した回があったのだが、その内「揺れる心のビブラート」の回がすごく印象に残り、感じたことがあったので、記すことにする。


曰く、ビブラートは音楽における感情表現の一種だ、とのこと。
ビブラートって、声が同じ周期と同じ揺れ幅らしい。
ゴスペラーズ黒沢薫こと黒ぽんがビブラートを計測したら、さすがに安定した幅だった。
音楽的にはこういう定義だが、歌に置き換えてビブラート有り無しで歌ってもらうと、テクニック云々より感情表現の差がわかる。
勿論ビブラート無しの素晴らしい歌もある。
松任谷由実さんの歌が紹介されていたが、素直な心を表現するにはビブラート無しの方が効果的だ。
番組の内容としてはこんな感じだ。



で、この番組を観ながら宝塚歌劇の場合を考える。
宝塚歌劇の歌は、所謂宝塚調。
作曲している人たちも歌い手である生徒も特段意識しているわけではない、この宝塚調。
宝塚歌劇の創世期に日本製のオペラを目指したことから外国の歌を幅広く取り入れたが、同時に日本の民謡や歌曲も取り入れたために外国の音楽と日本の音楽が交じり合って出来たもの、それが宝塚調と呼ばれるものではないだろうか。

ビブラートの多用も、宝塚調と呼ばれるものかと思う。
芝居でもレビューでも登場する歌には台詞や情景が出てくるわけだから、ビブラートを含め、歌うことはイコール演じるということだ。
ビブラートの多用において娘役はそうでもないが、男役はかなりビブラートきかせてると思う。
安奈淳さんことオトミさんは歌の名手として名を馳せてるけど、独特の節回しの中でビブラート率はかなり高いはず。
はず、と書くのは私がビブラートをはっきりわかっていないから(笑)単純によく聴いていると細かくビブラートされてると思ってるのだが。。。
男役の場合は低音を出さないといけない為、無理して低音を出して一本調子の歌にならないようにビブラートをきかせることによって音の無理矢理感をなくし、感情を表現しているのではないだろうか。
そして、それが普通の男性では表現出来ないような夢々しい世界を作り出しているのではないか、と私はそう思っている。



ま、特に真剣な考察でもない。
音楽的なものもだいぶ遠ざかっているので、間違いだらけかと思う。
なんとなく考えだけまとめたかったので残しておくことにする。

幸福な歌が宝塚歌劇だと信じて疑わない人の想い

宝塚歌劇の歌と云えば、『すみれの花咲く頃』、そしてベルサイユのばらで有名な『愛あればこそ』。テレビで宝塚歌劇団が出演すればこればかり。OGまでテレビ番組で歌っている。良い曲なのはわかるし、全国区で有名なのはわかる。しかし、宝塚歌劇団の良さはこの二曲だけではないはず。幸福を感じる歌がたくさんあるのが宝塚歌劇団の良さだ。


そもそも歌劇とはオペラのことだ。劇の途中台詞を歌唱する。日本ではレビューも含めている。宝塚歌劇団は歌劇のプロ集団だ。特にレビューでは数々の名曲を生み出してきた。それを再び歌うことは難しいのだろうか。近頃そんなことを思う。


こんな宝塚メドレーの映像が残っている。
すみれの花咲く頃→モン・パリ→幸福を売る人→ハロー・タカラジェンヌ→ハロー・タカラヅカと曲は五曲も続く。


ピーコさんの素晴らしい歌から始まり、ジュンコさんの軽快なステップと共に歌うモン・パリ。ミッキーさんの客席からパッと華やいだ笑顔で歌い出す幸福を売る人はやがてピーコさんとターコさんが加わって実に楽しそう。そこからトーンがグッと大人になって、スータンさんがハロー・タカラジェンヌを格好良く歌われる。で、最後にハロー・タカラヅカをジュンコさんやミッキーさん、ピーコさんにターコさんが素敵なダルマ姿と可愛らしいお声とスータンの洗練された歌声でフィナーレを迎える。
この五曲でしっかりレビューが出来上がっている。一般のお客様もタカラヅカファンも満足する構成だ。大階段などはない、セリもない。平舞台とわずかに客席への階段や突端の舞台だけだ。男役はダルマ姿にもなり、男役の代名詞である燕尾服はなく、タカラジェンヌの魅力で場を盛り上げているところは流石である。また、男役だけが目立つわけでもない。むしろ男役はスータンとジュンコさんとミッキーさん、そしてターコさんのみで、あとは娘役ばかりだ。幕開きはピーコさんの歌だし、その後もピーコさんは存分に素晴らしい歌を披露している。
宝塚歌劇団は女性が男を演じることが特色として挙げられるが、単純に役割でもある。団員(正確には生徒)が女性に限っているから役としては男女を分けているに過ぎない。男役だから目立つわけでは決してないのだ。むしろ昔の宝塚歌劇団は今のように男男せず、タカラジェンヌ本来の女性らしさも上手く舞台に反映させていて観ていて違和感はない。
宝塚歌劇団の良さは生徒の努力の上に成り立ったスター性と生徒を魅力的に魅せる演出家の手腕にかかっている。当たり前だが、そこが要だ。


さて、先日スマスマで花組SMAPと共演していたが、格好良さはあるが先の映像で受けたような幸福さが感じられる映像ではなかった。番組の趣旨が趣旨だからか公演中のエリザベートをフューチャーしたからか知らないが、宝塚も随分華やかさがなくなったものだと感じてしまった。時代の流れだよ、現に今のお客さんには受けてるよと云われてしまっては言葉もないが、なんとなく宝塚歌劇らしさがなくなっている気がしてならない。

歌の実力もそうだ。歌が上手いのはトップスターの明日海さんぐらいで、あとはSMAPと同レベルな印象を受けた。そもそも娘役がほとんど歌わないってなんだろうか?あまりにも変化がないメドレーになっていた。ピーコさんのような美しい歌声の人はいないのだろうか?歌劇団なのに歌の実力をあやふやにしたような映像になっていて、そこも観ていて残念に思った。もしかしたら歌の上手な人はいないのか?そんな疑念を抱かせるような演出だった。
私は今の宝塚歌劇団をよく知らないから今まで勝手云って申し訳ないが、地上波の出演があまりない宝塚歌劇団だからこそ、この機会を他(共演者)に迎合することなく独自の世界で勝負して欲しいのだ。宝塚歌劇の世界観には娘役の美しい歌声は不可欠であるし、夢の世界に誘う演出は必要だ。男役だけでは成立しない世界が宝塚歌劇だし、私たちファンはそれを一番に理解している。しかし一般の人にはなかなかその世界が浸透されていないのは事実だ。だからこそ一般の人が観る番組を有効に使って欲しい。先に挙げた映像のように。


観て幸せになる。それが宝塚歌劇の世界ではないのか?
私は地上波の映像で今のタカラジェンヌたちが楽しそうに歌っている『ハロー・タカラヅカ』を観たい。


書くこととは、己だ

お題について、徒然に。




書くこと、というものは本当に難しいことだと思う。
書くことは自己主張の最たるものであり、だからこそ言葉のひとつひとつに人格や品格が現れる。
そんな当たり前のことを、昔の私はわかっていなくて随分と乱暴に、思いつくままに書いていた。
昔の私はそれでも妄想が激しくて、いろんな表現を試したくて、たくさん作品を書いていた。
今思えばどこにそれだけの文章が出て来たのか疑問だ。
もう少し今にとっておいた方が良かった。今はもう枯れているんじゃないかと思うほど文章が書けない。
否、文章に対して守りに入ってしまったのだ。小難しく表現を考えてしまうばかりに言葉が上手く出てこない。別に純文学を目指しているわけではあるまいに、変に考えすぎてしまうのだ。

大人になってしまったと思うのは、こういうときだ。
今まで湯水のように言葉を出していたのは、自分が幼く単純であったに過ぎない。社会人になって、黙っておけば面倒事にならずに済んだ、なんてことを度々起こしてどうやら私は表現に対して萎縮してしまったようだ。


今、少しずつ文章を書くようにしている。文章へのリハビリであり、どこかしら書きたい欲が出てきた。これは良いことだ。
元来書くことが好きで、書くことが私の人生だと思っている。思い込んでいる。だから、もっと書きたい。文章を書きたい。作品を書きたい。


今日、李香蘭こと山口淑子さんが亡くなったという報が流れた。
彼女の歌った歌に、『蘇州夜曲』がある。
一番の歌詞がよく歌われるが、私は二番の歌詞が好きだ。


花をうかべて 流れる水の
明日のゆくへは 知らねども
今宵映した ふたりの姿
消えてくれるな いつまでも


七五調の美しい歌詞だ。
男女の心情が浮かんでくる。
これを書いた西條八十は言葉の美しさを少ない文字数で表現できる稀有な方だった。
その歌詞を美しい歌声でせつなげに表現した李香蘭もまた、素晴らしい人だった。

書くこととは、結局自分が出てしまう。
私の文章は、稚拙だ。わかっている。
だから研鑽して、いろんな文章を読んで表現を磨くしか他はない。








今週のお題「書くこと」

宝塚歌劇に13年越しに落ちる。

 近頃、私の中に宝塚歌劇の波がきている。宝塚歌劇と云っても現在の宝塚歌劇ではない。昭和の
宝塚歌劇、とりわけ映像がわずかに残っている1970年代から80年代前半だ。

 最初に宝塚歌劇を好きになったのは、高校時代のことだから、今から13年も前のことだ。母が一度は宝塚歌劇を観た方が良いと、夏休みに博多座で公演していた雪組公演に連れて行かれたことがきっかけだった。演目は『凱旋門』と『パッサージュ』。今考えると最強の演目であった。何せ轟悠月影瞳という大人のコンビに汐風幸湖月わたるである。充実の芝居、レビューを二階席ながら引き込まれて観たのを思い出す。
 それから流れるように一時期宝塚歌劇にのめり込んだ。でも、二、三年間ぐらいだったかと思う。贔屓のスタアが退団したら、自然とフェードアウトした。ちょうど大学に入学して新しい世界が開かれたことも起因して、割とあっさり観なくなった。そもそも地方に住んでいて、宝塚歌劇を観れるのは年に数回、テレビもNHKBSが定期的に特集してくれてたが、だんだんそれも減ってきていた時期だった。
 そんなわけでしばらく宝塚歌劇とかけ離れた生活を送っていたのだが(しかしその間一度社員旅行で月組のロミジュリを観た。それは今後書くとして…)、ちょうど仕事で情熱を失っているときに某動画サイトで宝塚歌劇の映像を観た。1981年の、小林一三25回忌の各組合同のレビューだ。あれでまた落ちました。宝塚歌劇に。今の宝塚歌劇ではなく、その頃の時代の宝塚歌劇に。何故なら今の歌劇には心奪われたスタアはいないからである。心奪われるスタアがたまたまその時代だった。単にそれだけのことなのだと思う。
 目下、その頃の歌劇やグラフを買い漁っている最中である。勤め人は盛り上がったら即行動。惜しむらくはあの頃はCDはなくてLPであることや、映像の類がほとんど残っていないことか。誰か昔の映像を観せてくれまいか。今の宝塚歌劇じゃないから、そこのところが不便だ。嗚呼、タイムスリップしたい。

 これからは時折あの頃の宝塚歌劇・私がハマったときの宝塚歌劇のことなどを語ろうと思う。次回はおそらく私が心奪われたスタアのことか。いや、わからんですけど。

書きたいけど、上手く書けないこの気持ち。

夢で、元職場の人たちが登場していたから何かと思えば…







本日、第3回太宰府検定が実施された。
私の母がそれの中級を受験し、合格した。
検定を午前中に受けて、夕方に合格発表。イマドキの検定はそんなに早いのかと思ったが、それはマークシート方式だからと云うのと、検定を受けてその後は史跡めぐりというわけのわからないコースが組まれたツアーがあったとのこと。
私は母に夕方連れ出され太宰府天満宮へ久々に参拝。
太宰府天満宮に余香殿と云う場所があり、そこで合格発表と成績優秀者の表彰式があった。
表彰式後、余香殿を出たらゼミで一緒だった友人がいて吃驚。
聞けば母が太宰府検定の講座などで親しくしていたらしい。
恥ずかしいやら何なのやら。
お互い吃驚したけれど、再会を喜んだ。
こういうかたちのご縁もあるものだ。

あ、今度ゼミ生で集まりたいねと云ってたからね友人たち!
私が三十路を迎える前にはやろうぜ!←なんでお前基準やねん


で。
帰りに元職場の人たちにわんさか会ってきた。
何故に私が夕方ここにいるかを一切説明せずに笑顔で「お久しぶりです!」と云って去って行った。
だって恥ずかしいでしょ、母と一緒なんだから。
だって恥ずかしいでしょ、私検定受けてもないのにいるんだから。



なんか、相変わらず意味不明な日記だ。
だって、書けないことだらけだもの!
ただ、母親が頑張ったことを記したかっただけ。以上!
それと、やっぱり私は予知見る才能だけはあるってこと!


それだけ!!

左目が

有給をとって、眼科に行った。





コンタクトの定期検診と共に左目の不調を訴えに。
まあ、眼球は異常ないし乾燥などもないと診断されたのだが。。。
それにしても左目だけがいつも疼くのよ。
乱視だから?
先生からは「とにかく仕事の最中は適度に休憩して目を休めなさい」と云われた。
それが出来たら苦労はしないんだよ、先生。
痙攣はするし、目は乾くし、それで原因わからないって何よ?


もうストレスってことで片付けていいかい?